わがままピッチャー
めっぽう肩が強く、誰に教わったわけでもなく変化球が曲がった。
逆にセンスは無く…常に下位打線。ピッチャーしかやるところがなかった・・・
それでも常にエースの座は譲らなかった!と思う。
一番の思い出高校野球
だいぶ集まる機会がなくなりましたが、今でもメンバーとは連絡取ってます。
今では考えられない事。
デットボールを当てても謝ったことがない
(チッ!俺の球が打てないからって当りにきやがって( `―´)ノ)
態度が悪いと新聞に載ってしまった( ゚Д゚)
バックを信頼していなかった訳ではないが、とにかく三振を取ることに生き甲斐を感じ
『万が一バットに当たったらお前ら(野手)頼むな!』みたいな(‘◇’)ゞ
当然!?フォアボールも多く毎回奪三振、毎回フォアボールはよくあること( ^^) _U~~
ある日、センスの塊ショートのO君がエラーをした。こちらは顔に出さないようにしていたのだが
、、、試合後の部室でO君が『フォアボールが多いからリズムが狂う』の一言にブチ切れ!
『無四球試合をすれば新聞に載るけど無失策試合は新聞に載らねーえんだよ!
捕って当たり前なんだよ!!!』とバトル( `―´)ノ
《45才の若さで逝ってしまったO君・・・早過ぎるよ・・もう一度呑みたかったなぁ・・》
そんな我がままピッチャーだった。
野球に感謝! 野球に恩返しを